2015年05月13日

諏訪の茶屋

二の丸にある、明治45年に再建された諏訪の茶屋。
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2015年05月11日

百人番所

DSC08892.JPG同心番所を過ぎると、左側に長い建物の百人番所があります。
甲賀組,根来組,伊賀組,二十五騎組の4組が同心百人ずつで、昼夜交代で護りを固めていたそうです。
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2015年05月09日

パレスホテル東京

和田倉堀のほとりに建つパレスホテル東京。
同じフロアの窓を結ぶのが難しく見えます。
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2015年05月08日

桔梗門

桔梗門です。ここから江戸城に入ることはできません。
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2015年05月07日

和田倉噴水公園

5月4日の江戸城散歩の続き。
和田倉噴水公園から巽櫓を望む。東京の真ん中とは思えない風景です。
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2015年05月05日

江戸城天守台

先日、江戸東京博物館で見た「幕末の江戸城―本丸・二丸御殿―」模型の実地検分です。この天守台石垣の周囲にも、びっしりと建物が建っていたとは創造もつきません。別世界のことのようです。
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2015年04月30日

懐かしい部屋

20150429_142937.jpg江戸東京博物館に、見どころはたくさんありますが、一番印象的だったのは「ひばりが丘団地」の部屋の再現。
つい10年余り前まで住んでいた社宅とそっくりです。もうマンションに建て替わってしまいましたが。
階段の両側にある鉄製のドア、流しで振り向けば手が届く食卓、天井戸棚に据え置き式のガス台。さすがにサッシはアルミでしたが、この展示のような木製サッシだった跡もありました。
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2015年04月29日

江戸東京博物館

20150429_154601.jpg「大関ヶ原展」を開催中の江戸東京博物館に久しぶりに行ってきました。両国は何度も来ているのに、なかなか足を踏み入れることができませんでした。
祝日とあって、内部は大混雑。なかなかゆっくり展示ケースの近くから見ることができません。でも、確かに見応えがありました。
昼食後、ちょうど展示改装を行ったばかりの常設展示も見てきました。特に「幕末の江戸城―本丸・二丸御殿―」模型は素晴らしい。江戸城の中にこれほど多くの建物があったとは驚きです。
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2015年02月01日

No.26仲屋マブナリ御嶽@綾道(平良北コース)

s-P1050455.jpgNo.26は、民家の塀と塀の間の細い道の奥にある、仲屋マブナリ御嶽です。

仲屋金盛の娘、父の罪科で「おやけこ」として首里王府に召し使われる。やがて、王の目に留まり懐妊するが、宮女たちの嫉妬に耐えかねて帰郷する途中、船頭の卑しい振舞いや暴風で多良間島へ漂着して息絶えた。多良間にはマブナリを葬ったというフタツジ御嶽がある。

No.27の尻間御嶽(っしまうたき)、No.28の住屋遺跡(すみゃーいせき)は、今回時間切れで行くことができませんでした。
もう少しだったのですが、残念。次の機会に訪ねたいと思います。

ということで、延々と紹介してまいりました綾道3ルートのうち、砂川・友利コース、平良北コースを終わります。
もうひとつの下地・来間コースは地図がなく、どの遺跡が該当するのか、まだよくわかりません。ア田川にかかる、池田矼や赤間宮などは入るようですね。
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2015年01月30日

穴子ヅケ縁側丼

クイパラ本部手前の「ゆたか丼丸」、今日は0の日サービス。
シャリ大盛り645円→600円。
縁側が歯触りよく美味しいです。s-20150130_181109.jpg
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2015年01月28日

No.25外間御嶽(ぷかまうたき)@綾道(平良北コース)

s-P1050472.jpgNo.23仲屋金盛ミャーカの向かい側に、外間御嶽があります。

14世紀から15世紀にかけての人物、根間大按司、その子根間の角かわら、目黒盛、その子真角与那盤、その子普佐盛の5人がまつられている。普佐盛の弟、伊かりによって御嶽に仕立てられたと伝えられている。

とは言え、近年建てられたものらしく、賽銭箱やコンクリートの屋根がある御嶽です。
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2015年01月27日

No.24忠導氏仲宗根家@綾道(平良北コース)

s-P1050463.jpg表札がかかり、装飾付きの立派な門が「忠導氏仲宗根家」。この中にはどんなお屋敷があるんだろうと思ったら、正面にヒンプンがあるだけで、その中は石がごろごろして、がじゅまるの木が生い茂るばかりでした。

忠導氏は古琉球から近代初期まで、白川氏と共に宮古を二分するほどに勢力を誇った旧家である。元祖仲宗根豊見親(童名空広)は目黒盛豊見親の五世孫にあたり、15世紀末から16世紀初めにかけて宮古の主長であった。
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2015年01月25日

No.22ユーラジ御嶽@綾道(平良北コース)

ユーラジ御嶽.jpg県道83号線に出ると、片側一車線ながら大通りという感じがします。

御嶽は小高いところで、25平方メートルの四角の敷地となっている。東側に祠があり、中に香炉が二つ置かれている。又祠の側に石二つが並べてあり、神が天に上がるところもいわれている。この御嶽一帯はかつての東仲宗根村番所跡である。

小高いといっても、石段2段です。Google ストリートビューでも、ほぼ同じアングルの写真を見ることができます。
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2015年01月24日

No.21船立堂@綾道(平良北コース)

s-P1050487.jpg3年前には、フサティ御嶽から船立堂へ行くことができず、完全に方向を間違えて気がつくと盛加井に来ていました。それはそれで行って見たかったので良かったのですが、宿題になっていた船立堂、今回はあっさり行けました。私は決して方向音痴ではなく、唯一持っていた綾道マップがわかりにくかったからなんです。
今はスマホのGPSがあるので、少なくとも現在位置をロストすることはないですね。

「御嶽由来記」に「船立御嶽男女かねとの志らこにやすつかさと唱え、船路の願い、諸願いにつき平良村中崇敬する」とある。農具の神としてもあがめられ、旧11月8日には、フーツキヨーカ(ふいご祭り)が行われる。

綾道マップの説明はあまりにも簡略化されていますが、現地案内看板にはもっと面白いいわれが書いてあります。その話はいずれご紹介するとして、「かねどの・しらくにやすつかさ」は久米島から宮古に漂着した兄妹だそうです。
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2015年01月23日

No.20フサティ御嶽@綾道(平良北コース)

s-P1050512.jpgンー(芋)ヌ主御嶽の向かいに、「保里遺跡」と書いた案内柱のある小道を登っていくと、特にどう、ということのない御嶽があります。これがフサティ御嶽だそうです。

14世紀頃の人で西仲宗根の首長保里天太の居城跡と伝えられている。2基の香炉が置かれたイビの中央に「テダノ主神」左右に「水の神」「トビトリノ主神」とそれぞれ神名が記され、古い長方形の鏡がひとつ安置されている。

ただし香炉を囲む塀はブロック塀で伝統的に古いものではなく、鏡も古いとは言えないように思います。
それより、透かしブロック、正面と右側が逆さまに埋め込まれているのが気になります。
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2015年01月22日

No.19ンー(芋)ヌ主御嶽@綾道(平良北コース)

s-P1050503.jpgウプカーの左手の細い坂道を登って左折すると、道より少し低いところにンー(芋)ヌ主御嶽があります。御嶽というより、神社の形です。

長真氏旨屋は首里王府での公事を終えての帰途、逆風に遭い中国に漂着した。
3年後の1597年帰島にさいして芋カズラを持ち帰り、島中に流布した。これによって旨屋は「イモの神さま」としてまつられている。

綾道マップには簡単に書いてありますが、現地の案内看板によると、中国から帰るときにまた遭難して、今度は九州に漂着した後、ようやく宮古に帰ったということです。さらに45年後、琉球からの帰途、またも遭難して八重山に漂着して病死したそうです。
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2015年01月21日

大川@綾道(平良北コース外)

s-P1050519.jpg大和井の道路をはさんで向かい側に、大川、おおかわではありませんよ。ウプカーがあります。綾道マップに名前しか記載がなく、Noが付いていないので今まで気づきませんでした。

牛馬用の井戸だそうです。説明板を抜粋すると

掘削年代は明らかではないが、18世紀初頭にはすでに大川が存在していたことがうかがわれる。当時の人々の暮らしにとって、牛馬は重要な労働力であった。
数多く存在する井泉のなかで、牛馬専用を目的としたものは極めて稀である。
戦後、水道の普及や牛馬飼育の激減により、大川を利用することがなくなり何時しか土砂に埋もれてしまった大川を、2004(平成16)年10月発掘した。
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2015年01月20日

No.18大和井@綾道(平良北コース)

s-20140921_112522.jpg大和井、みごとな石積みです。城辺町の友利のあま井に比べると、水汲みははるかに用意です。でも庶民は使えなかったみたい。

下部に大石をおき上部につれて小さな切石を円形に積み上げている。在番役人・頭など、一部の上層役人だけが使用したとの伝承をもつ宮古唯一の井である。掘年は雍正日記などから1720年頃と推定される。
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2015年01月18日

No.17荷川取村番所跡@綾道(平良北コース)

s-P1050530.jpg道路脇の、サトウキビ畑の片隅に案内柱が立っています。

古琉球から近代初期にかけての荷川取村番所の所在地。番所敷地内には機織場、染め場等も設けられていた。

とはいえ、痕跡らしいものは何もありません。
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2015年01月16日

No.13真玉御嶽(パス)No.14人頭税石@綾道(平良北コース)

s-201111宮古_132.jpgNo.13の真玉御嶽は未訪問のためパス。Google Mapに「真玉神社」と記載されています。

「御嶽由来記」によれば、男女神かねとの・まつ免かを祀り、子孫繁昌の神として崇敬されている。ユークイ願い(豊穣祈願)などが行われる。

No.14人頭税石
宮古島一番の有名どころですね。最近の写真が見つからず、2010年のもの。

平良市荷川取の臨港道路沿いに立つ高さ143cmの石柱。「ふばかり石」ともよばれている。王府時代に宮古・八重山地方に人頭税が課せられ、この石の高さになると税を課せられたという伝承があるが、近世琉球では数え15〜50歳の男女に賦課されている。
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